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沢田研二50周年記念LIVE

行ってきました!沢田研二50周年記念コンサート。

新しい友人の一人がジュリーファンなのです。
コンサートの話などを聞くにつれ、あぁ、いいなぁ・・・自分の拓郎のことを思って、「わかる、わかる」・・・ずっと好きな歌、好きな人の歌を聴き続けていられることの幸せを、一緒に感じていました。
なにせ、拓郎が、ほんとはジュリーになりたかったという、あのジュリーですよ。「YOKOSO」一回目のゲストに指名した沢田研二さん。先日のラジオでも、CMに提供した「いま、このときめきを」をきかせてもらいましたね^^
そのジュリーが50曲歌うという50周年記念LIVEが、市民ホールに来る!自転車で行ける!
チケット獲得に走らないわけ行かないじゃないですか。

2枚無事ゲットしたものの、そのジュリーファンは、すでに数箇所確保済みとのこと。う~ん・・・拓郎ファンにも希望者見つかるかもしれない。一言伝言で呼びかけようかとも思ったけれど、この際、別口の新しい友人仲間に声をかけてみようかなぁ。
地元でやるのだから地元の友人もいいかも。サッと手が上がり、あげそこねたと残念がる人までいた。さすがジュリー。速攻で決まった。

一緒に行くことになった人は、昔、ジュリーを聴いていたというわけではない。「だって、そういうのも楽しそうじゃない?」
何か違う場所に身を置いてみたい・・わかるような気がする。でも、大丈夫かな?若い時からあまり流行りの歌には縁がなかったような、今年古稀を迎えるという人、楽しくなかったららどうしよう・・・。楽しくなかったら、なんて、お節介か。自分で行きたくて行くのだものね。


定員862名の小さな市民ホールです。
開演前にデパートのレストランで一緒に食事をして、グラスビールを一杯ずつ。「飲もうよ」というのは私が言った^^; 6時30分開演に、6時過ぎ、そろそろ行こうか・・・拓郎のではないから呑気なものです。
ホールに着くと女性でいっぱい。なに?この長い行列は?・・トイレだったT_T

初めに、スクリーンに子供の頃のジュリーが映ります。わ、さすが、可愛い!タイガースの頃、白いスーツで、コロコロ笑うジュリー、素敵なカッコイイジュリーが次々と。ファンがにはたまらないだろうな。ファンじゃなくても、うれしいわ。
一緒に行った人は、「やっぱ、キムタクに似てる!」と言います。だんだん、少しずつふっくらして来るジュリー。
と、ステージが始まり、キラキラ刺繍をほどこした緑のジャケットを着た沢田さん登場。

「大入り袋」が出たのだそうです。ありがとうございます。」
高校野球の話してました。花咲徳栄が勝ったのが悔しいらしい。昔の広陵高校の話もする。野球詳しいんですね。ここは関東だからと、変に気を使わず、好きなチームの話をするとことが、拓郎に似ている(なんでも拓郎と比べるな、との声が聞こえそうT_T)


一曲目からみんな立つ。私も!
聞き覚えのある歌・・・調べたら「あなたに今夜はワインをふりかけ」。ワー!声、同じ!
2曲目に「君だけに愛を」が始まったら、もう、不思議なことに、緑のカーネルサンダー(失礼)どころか、若い頃の顔が重なって、紛れもなくジュリーなのです。さっき見た映像の、すらりとカッコイイジュリーが立っている。艶のある、甘い声。

「僕のマリー」、「青い鳥」・・・と聴いてたら、なぜか涙が出てきてしまった。懐かしいというより、なんだろう・・・この年になって聴くジュリーの素敵さ。歌、同じよね。
知っている歌も、知らない歌も・・・私、こんなにジュリーの歌、知っていたっけ?みんな聞いて知っている歌のように感じてしまう。

どんどんどんどん歌います。声がすごく出るのです。普段から、余程鍛錬しているのでしょう。
一曲歌うと、「ありがと。サンキュー。ありがとおーね。」関西のおじさんぽいイントネーション。毎回、それだけ。
歌って、「ありがとおね」。また歌って「ありがとおね」。私には、それが可笑しくて、クスッとするけど、誰も笑わない。

「追憶」を歌う。(安井かずみさん作詞だったのですね)
「サムライ」を歌う。

曲名がすぐに出てこない歌は、新曲なのか。(私が知っていた沢田研二以降の歌、という意味です)
わからないので、書けませんm(_ _)m だから、書くのは昔の歌ばかりになってしまうけど。
誰もが知っているだろう歌は半分、25曲くらいと言ってました。不完全な感想です。

「コバルトの季節の中で」「君をのせて」・・・なんて素敵なんでしょう。あぁ、ジュリーだ・・・「コバルトの季節の中で」、好きだなぁ。

「にくみきれないろくでなし」「時の過ぎ行くままに」「勝手にしやがれ」・・・阿久悠作詞が続きます。
聴きながら思いました。なんて、阿久さんの詩が似合う男になったんだろう、って。若い時も素敵だったけど、来年古希を迎えるという今歌うのは、更に深味が増したよう。色褪せない歌詞というのは、あるよね。
阿久さんが生きていらしたら、そうなんだよ、この詩は、って喜んだかな。


「ここまで24曲歌いました」と言いました?25曲でした?記憶、あやふやで、ごめんなさい。
とにかく、ここまで、ひたすら歌い続けています。あの艷やかな声で。息切れなんてしない。すごいパワーです。
勿論、フルコーラスではありません。後で、「一番だけ。時々2番も入っていた」と言ってました。

最初、50曲と聞いたとき、さすがに全曲フルではないでしょう、と思ってはいたけれど。ところどころ「さわり」だけ繋げたようなメドレーになるのかな、と。
どの歌も公平に一番だけ。こういう歌い方もあるのですね。聴き応えありました。
(拓郎も、LOVE2の頃のような細切れメドレーなんかじゃなく、沢山歌うのなら、せめて、こんなふうに歌って欲しい。)


やっとMCです。
50年、山あり谷あり、崖あり。幸せなことに大事件には出会わなかった。ハイジャックとか飛行機が出ないとか・・・あ、この間の松山千春さんのことだ!
自分は、あんなふうに出ていけない。だいたい歌える歌がない。
♪あなたはすっかり疲れてしまい・・・これじゃ困るでしょ。
♪落ちてゆくのもしあわせだよと・・・困るよね

会場大爆笑。
「だいたい千春は(わ!拓郎も「千春」と言う。同じだ!)坊主頭に太い金の指輪やネックレス、あの風貌で、ああいう歌を歌うんだから・・・。
昔、お芝居で丸坊主にしなくてはならないことがあって、鏡見るたびに「千春だ!」と思って嫌だった。」
「ああいうのって、必ず誰かが撮って、SMSで広まるでしょ」「だいたい、SMSってなんなんだ。気に入らない」

話が止まらない。面白い。話し声は、少しかすれていた。


「25曲目の歌です」と言って「ラブ・ラブ・ラブ」を歌ったのかな?
上着を脱いだ。白いシャツ。「抱きしめたい」も歌った。
白いシャツの袖をまくった。「TOKIO」と「危険な二人」の時は、ネクタイも外してたっけ?次は何を脱ぐのかと思っちゃった^^;
「危険な二人」盛り上がったよね。思わず、帽子を投げる仕草をしてしまう。

このあとは、わりと新しい歌が続いたのだと思います。
どこでだったか、東北大震災のことが入った歌があって、歌い手として、向き合う姿勢に感心した。


40曲歌ってMC。

タイガース解散の裏事情、PYG結成の話。こんなことまで話していいの?というようなことまで。今はもう、みんな知ってるか。こういう話に、沢田研二の骨っぽさが出ます。
PYGで、大野克夫、井上堯之のお二人と出会ったことの素晴らしさも語っていた。そこで歌手として変わった、って。
「時の過ぎ行くままに」で紅白に出場することになったとき、井上堯之バンドの音でなければと、こだわった。それまで紅白はフルバンドで歌うのが当たり前だった。
(ジュリーも先駆者だったんだ。拓郎が紅白に出場したとき、バンドにこだわったけど、そのずっと前に、ジュリーが、きっかけを作っていた)

前のMCだったかもしれないけど、上京してすぐ、タイガースで売れて、ソロで売れて、またソロで売れて、また売れて・・・だんだん売れなくなって、たまにテレビに出ても、「話題曲コーナー」なんかで、つまらなくて出なくなって、
還暦で80曲やった頃から、なぜか、また少しずつ人気が出てきて、今、こうして満員の会場で歌えてる。
でも、自慢なのは、ヒット曲が出たからでも、本を書いたからでもなく、ただ、歌ってきて、歌でまた売れた、ということです、と言っていた。

50年、ずっと順調だったワケじゃないと言っていたけれど、その間、たゆまぬ努力を続けて来たのでしょう。キーがどうとか音楽的なことはわからないけれど、同じ声、すごいと思う。
ステージ、最初走ったとき、どうせ市民ホールは狭いし、なんて思ったけど、とんでもない!踊ったり、ジャンプしたり、声も体も鍛えているのがよくわかる。売れる売れないでなく、ずっと沢田研二として、大事なものを守り続けてきた。

ジュリーって男っぽいんだよね。ヤワなアイドルじゃない。
2回目のMCの時だったか、会場のどこからか「頑張って」の声が飛んだ。
そしたら、「頑張ってないみたいじゃないか」って。怒りはしなかったけど、笑いに紛らすような口調ではなかった。
最近の拓郎は、柔らかく「いなす」。


さて、残すとことあと10曲。数えながら聴いてました。
「シーサイド・バウンド」以外は、私の知らない歌ばかりだったのかな。
それが、また、これまで以上の盛り上がり。ラスト前の曲なんか、始まる前から熱かったので、知ってる歌かと構えたけど、知らなかったT_T
待ったましたとばかりの熱狂。

ファンはすごいね。会場では、どんなフリでも、みんなポーズして、踊って。この小さなホールは古いので、ちょっと跳ねると床が揺れるのです。安普請め!と思いながら、私は私のペースで、立っているのに疲れたら座って、一緒に手拍子したり、じーっと聞き惚れたり。
沢田研二さんには、こういうファンがずっといてくれたんだ。50年歌い続けることの素晴らしさテレビでしか知らなかったジュリー。LIVEはいいものですね。

拓郎は、あと何年で50周年なんだろう。拓郎の方が年上なのに、沢田さんの方が先輩なんですね。拓郎は、きっと50周年も歌える。そして、沢田さんは、拓郎の年まで間違いなく、拓郎の年を越えても、こんなふうに歌う。
「YOKOSO」、拓郎は話を引き出そうと、自分のことばかり喋って、ああいうことが苦手そうな沢田さんは言葉少なめで、対談成功という感じはしなかったけど、今思い出すと、味があった。録画、保存してあったっけ?探してみよう。


「50曲目です」と歌ったのは、静かな、しみじみ聴く歌でした。

さぁ、アンコール、と思いきや、みんな手拍子しない。ん?どうして?
座っていたら、スクリーンに、何年頃のジュリーでしょう。少し太めで可愛らしい。「渚のフリフリ」?加瀬邦彦さん?
みんな、これがあるの、わかっていたんですね。だからコールしなかったんだ。

映像が終わって、ステージにジュリー登場。皆さん、すっと立ち上がります。挨拶です。

歌い続けていきたい。足腰が弱っても、座っても歌える。怖いのは耳が聴こえなくなること。
時代を先取りしたり、時代に合わせるのでなく、好きな歌を好きに作って、ヒットしたらいい。

51曲目。「いくつかの場面」(これも調べました)
ほんとに、いつかまた、みんながいてくれたらいいね。
もう会えない人、会わない人。
会いたくても、もう会えない人もいるのだから、会えるのに「会わない」などと言わず・・・、素直にそんな気持ちになれたらいいのだけど。

歌い終わって、ジュリーは、上着を脱ぎ、きちんとたたんで腕にかけ、深々とお辞儀をしました。
バンドの皆さんも、丁寧に頭を下げます。
何度もお辞儀をし、最後にもう一度メンバー紹介をし、自分を「ジュリーです!」だって。
わ!沢田研二です!とは紹介しなかった^^
静かに、50周年、50曲+1が終わりました。懐かしい歌に戻りはしない終わり方。


思ったこと。
「ジュリー」というと、まず返ってくるのは「太ったよね」。私も、そういう反応していたかもしれない。
だけど、違う。大事なものを見よう。
真っ直ぐに見つめよう。聴こう。
「食べられるんだからしょうがない」、そう言っていた・・・


帰り、友人に付き合って、駅まで歩いた。
「どうだった?」
「よかったぁ。夢のような時間だった。この年になったから、わかるのよ」
そうよね。もし、10年前、20年前にジュリーライブを観たら、こんなに感動したどうか。この年になって、初めてジュリーのLIVEに出会えた幸せ。
そして、ジュリーファンの手芸仲間(?)、一緒に行った体操仲間、この年になって新しい友達ができるって、うれしいことですよね。ん?私って、もしかしたらジュリーと同い年かも?


それにしても、ジュリーはやっぱりスターだ!今朝は、ずっと♪僕が マリーとあったのは・・・甘い歌声がぐるぐる。
ほんと、声、変わらないんだから。素敵よ、みんな聞いてごらん。

京都に行った(3)

前日、たっぷり昼寝をしてしまったものだから、どうにも眠れなくて困りました。
膝も痛いので、11時の待ち合わせまで、のんびり休んでいようと思ったけれど、このままホテルにいてもねぇ。短時間で行って帰ってこられるところ・・・三十三間堂も考えたけれど、京都駅から一駅の東福寺にしよう。ここなら間違いなく帰ってこられる。
京都で紅葉というと、真っ先に名前の挙がるお寺だ。秋、あまりに人出が多く、写真撮影が危ないので、通天橋などでは撮影禁止とニュースになっていた。きっと新緑も綺麗なことでしょう。
一旦荷物に入れた「杖」を取り出す。

この二日で、京都の電車は、多少覚えたぞっ。奈良線に乗る。編成も短いので、結構ギュウギュウ。リュックを背負っている人が多くて、皆観光客かと、電車を降りたあと、ついていったら、若い女性達は、登校する看護学校の生徒さんなのでした。慌てて引き返す・・・これだからT_T

大きなお寺・・・どこにどう行ったらいいのやら。本堂はどれだろう。これかと覗いてみても、中は見えない^^;いつも公開しているわけじゃないのね。通天橋で受け取ったチラシを見たら、涅槃会特別公開 3月14、15、16と書いてある。私はこういう日を外すから人出多くないんだ。
それでも人気の通天橋は人がいっぱい。撮影は諦めて、お庭の写真でも。

紅葉の頃は、綺麗でしょうねぇ。
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この葉の先についているプロペラみたいのは、みたいのはなんだろう。あっちの木も、こっちの木も。淡いピンクで、先のほうが少し濃い。可愛らしくて、思わず写真を撮った。
調べたら、花のあと。真ん中に実がついているらしい。見つけて、なんだかうれしい。
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さて、待ち合わせです。私が京都に行くと知ったら、お昼に誘って下さった。そのために出てきて下さる。感謝。
指定の場所は、新幹線八条口。少し京都の駅がわかってくると、さすがの待ち合わせ場所だと感心する。わかりやすくて、案外人が少ない。地下鉄などにも乗りやすい。

ランチ。本当に、本当に、私などには行かれないお店。高価というより、それ以上に心豊かにお料理を味わえるお店。働くお店の方たちも、とても気持ちいい。
その美味しさは、思い出に残ります。

食事のあと、大田神社でカキツバタを見る。
満開というわけではないけれど、そのお店のご主人がいうには、咲き揃う前がいい。全部開くと、前の花の萎れたのも見ることになるから。
確かに、散らない花というのは、咲き終わったあと、少々無残な姿を晒す。物足りないくらいが美しいのかもしれない。

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その後、上賀茂神社まで歩いて、参拝をする。「とても好きなの、ここ」と友だちが言う。
タクシーで、半木の道(なからぎのみち)を駆け抜ける。通る、というより、駆け抜ける、という感じだったのです。
桜の頃を見てみたいと思う。綺麗だろうな。

下鴨神社近くのパン屋さんで、予約しておいて下さった食パンを買う。友だちと一緒にパンを買う、って、なんか、素敵よね。いっそう親しくなった気がする。
下鴨神社をお参りする時間はなく、友だちゆかりのお店でコーヒーを飲む。
低めのソファに腰掛けて、お庭を眺めながら、たくさん、お互いの思い出話をする。そう、思い出話は別々なのです。一緒の思い出と言ったら、拓ちゃんしか^^
彼女はその日、お着物だったのですよ。通りすがりの人の声をかけられるくらい美しい、でも、さりげない帯と着物。着慣れていらっしゃるのでしょう。しっくりと馴染んでいらした。
コーヒー美味しかった!
今日が一番京都らしい時間を過ごしたような気がする。それは、もちろん「友だち」の案内のお陰なのだけど。


帰りの新幹線で、やっと拓郎のラジオを聴く。
頑張りすぎないでね、拓ちゃん。もっと手抜いていいよ・・・。私には「トリソツ」が拓郎の選曲だとは思えない。

駅からの帰り道。荷物が重い、お酒なんか買うから。足が痛い、無理するからT_T
ようやく家について、パンを小分けにして冷凍庫に入れる。(まず、それか!)
両膝がパンパンに赤く腫れている。触ると、熱を持っている。この前医者でもらった湿布貼っておこう。
明日の麻雀会、なんで欠席にしとかなかったんだろう・・・

翌朝起きると、膝は大丈夫みたい。回復早いのね、ふんふん。
また行きたいなぁ、京都。

京都に行った(2の2)

電車から何組か降り立ったはずなのに、天狗さんを見ているうちに、おじさん4人組と私しかいなくなってしまった。なんとなく一緒に歩き出す。
仁王門をくぐると、ケーブルカー乗り口がある。「ただやろ」。
ここはお寺さんが運営しているので、係りの人もお坊さんだ。慌てるように「200円頂きます」。「なんや、金取るんかい。ほな、歩こう」4人でどっと笑う。
こういう自分では気が利いたつもりの軽口、嫌いだ。なんで、こういうおじさん、いつもいるんだろう。
面倒なので、やり過ごそうと、ゆっくり歩くけれど、向こうも話をしながらのんびりなので、なかなか別になれない。

由岐神社に着いた。鞍馬寺の鎮守社なのだそうです。
樹齢800年という大杉が迎えてくれる。
今流行りの御朱印が、書置きで何枚も重ねられ、飛ばされないよう石が置かれている。300円を置いて、持っていくようになっているらしい。100円玉がいっぱい。
天狗の形をしたおみくじが、山のように積まれている。これも、勝手に持って行ったりしないんだ。神社だもの、そんな罰当たりなこと。当たり前かもしれないけど、日本人の律儀さに感心する。
お参りをする。手を合わせても、何も浮かばない。わざわざお礼を言うというのが、私らしくない。

おじさんたちは先に行ったらしい。一人はいいけど、誰もいない山道というのも、少し心細い。右に行く。右で合っていたかな。新緑の美しさに浸るというより、心配で足元ばかり見てい歩いているような。
 
これが「九十九折(つづらおり)」かぁ。例の新聞には、ディズニーランドの乗り場にできる行列に似ている、と書いてあったけど、絶対違う。
*新聞記事引用*
__ディズニーランドの乗り場に出来る行列だ。あれもジグザグだから、入り口はすぐ近くに見えても、なかなか進まない。近くて、遠い。 
不謹慎かと思ったが、そう間違った連想でもなかった。道には池があり、お堂、歌碑、自然の奇観・・・。いろいろあって飽きない。信仰の場だが、遊園地を巡るような楽しさもある__

何言ってんの!と自分で歩いてみて思う。それは感じ方はそれぞれだけどさ。なんでワンダーランドなのよ。記事って、とにかく書く事が先行してるよね。この記者は、歩いていて汗をかかなかったんだろうか。平安の昔、幾度も折り返しながら参拝への道を歩く人の姿に思いを馳せても良かったのに。

ディズニーランドは目標の建物を見ながら、ジグザグに並んで進んでいくのかもしれないけど、ここは、本殿を向こうに見ての九十九折じゃない。どこまで行ったら、何度曲がったらたどり着くのか、先の見えない参道なんだ。だから不安にもなるし、必死に足を運ぶ。

ふと、小さな細長い石碑と、札が目に止まる。
「「五町 言清浄 言葉をつつしむ」

メモをする。メモ帳とペン持参で歩くって・・・T_T
これ、もしかしたら「四町」「三町」と続くのじゃないかしら?そう気付くと、目標が出来たようで、足取りも軽くなる。

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あ、あった!
「四町 意清浄 思いをつつしむ」
言葉を慎みなさい、とは言われるけど、思いを慎みなさい、とは言われない。「思いを慎む」なんと自戒に満ちた言葉なんだろう。

「三町 業清浄 清らかに」

「二町 上求菩提 明るく」

さっきのおじさん4人組が下りてくる。「階段は足腰に来るからね」・・・早くもリタイアしたらしい。

この辺りから参道が整備され、明るい雰囲気になってくる。

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「一町 法界参入 安らかに」

登りきった!
30分ほどの道のりというけれど、もっと歩いたような気がする。

本殿の写真は取らないのに、こんなもう終わりの藤の花を撮ったりするんだから^^;

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本殿金堂前の石畳、金剛床には、六芒星という何やら占星術のような図案が描かれ(怒られちゃうね^^;)最大のパワースポットなのだそう。
そこに立って、大きく息を吸い込む・・・そういうことも遠慮しておいた。ポーズが苦手。

御朱印を頂いた。集めているわけではないのだけれど、ここなら頂いていいだろうと思ったから。私なりに頑張って歩いてきたもの。
年配の女性が、丁寧に丁寧に書いて下さる。「良いお参りでした」そう言って渡して下さる。
「尊天」と書いてあるのだそうだ。

「尊天」について、と書かれた神が挟んである。月輪、太陽、大地・・・読むだけで、理解など出来ないのだけど、なんとなく人を祀るのでなく、宇宙の大霊で良かったな、と思う。
・・・宗教の話はパスしよう^^;

九十九折では、ほとんど人と出会わなかったのに、本堂には大勢の人がいた。そこから奥の院に進もうとすると、また人がいなくなる。たまに行き交うのは、皆、一人歩きの男性だ。
鬱蒼とした木々の中を歩く。小雨が降っているのか、木の雫が落ちているのかわからない。ここが木の根道か。左の方に、木の根がのたくった所があったので、そっと一回りしてみる。

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岩盤が地表近くまで迫っているため、根が地中に入り込むことが出来ず、こうして地表に出ているのだとか。それでも、根は這い、木々は太く高くそびえる。生命力の強さを感じる。

元の道に戻って進むと、牛若丸が天狗に兵法を習い、修行したという僧正ガ谷に出る。深い谷の緑が、なんて綺麗なんだろうと思う。足元には木の根が這う。滑らないよう、踏まないよう気をつけて、ゆっくり進む。こんなに木の根が道を這うなら、さっきわざわざ木の根がたくさんある場所に寄り道しなくても良かったな、とちょっと後悔。

「極相樹」という看板を何度も読み返す。
「裸地や、山火事、伐採などで樹木を失った土地には、はじめに光を好む草が生え、ついでマツやナラのような陽樹が入り込む。その日陰にシイやカシなどの陰樹が生え、陰樹が成長して、陽樹を追いやる。すると、最後に陰樹だけの林となり長く安定する。これを極相林という」・・・面白いと思いません?

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「鞍馬山では、このあたり一体が、極相に達した森である。・・・このような森ができるまでには、少なくとも二百年から三百年の歳月が必要・・・」そうなんだ、と頷く。だからといって、森林保護の活動などしないわたしなのだけど、
こんなふうに長い長い歳月をかけて育ってきた森の中を歩いているのだと思うと、神妙な気持ちになる。

やがて、「奥の院」に着く。
不思議だ。静かで、何の音もしない。飾り立てる物はない。地味にひっそりと。霊気を感じるというのなら、ここではないかと思った。抜け出すように後にする。

あとは、ただ、貴船へと道を下る。

登りより下りがキツイと言われるけれど、先月痛めた膝に来る。下りは、杖を使うより、手すりに掴まって、ゆっくり降りた方がいいみたい。
登ってくる、軽装も何も、ひらひらしたスカート姿の女性二人連れとすれ違った。大丈夫なのかしら?途中で諦めて下りてくるかな。

ふーふー、しんどいな、がんばろう。せっせ、せっせ・・・一生懸命足を運んでいると、やがて、聞こえてきた水の音!やったァ、もう少しだ!
道路が見える、川が見える、その向こうに神社が見える。貴船神社だ!ほーっと息を継ぐ。

山の降り口は登り口だ。同じように「愛山料300円」の札がかかっている。でもさ・・・。


貴船神社は、華やかで明るい。若い女性、カップル、鞍馬では見かけなかった外人さんのグループで賑わっていた。
縁結び、水の神様、人気なのだろうね。

見晴らしの良さそうな休憩所があった。ひとまず、そこで休憩。水を飲み、先週次男一家が来たとき、「母の日包装で、少し早いけど」と、お嫁さんがくれた高級チョコとキャンデーを口に入れる。これで元気回復だぁ。
川のせせらぎを聞きながら眺める新緑のもみじ、綺麗だねぇ。写真を撮ろうと思ったけれど、私の写真ではこの色は出ないでしょう。隣の男性二人組が、何かのプランを練ってるらしく、「ここ、ライトアップに合わせて来たらいいんじゃないか」と言っている。
ライトアップかぁ・・・夜はもう無理だなぁ・・・花も、夜桜なんて、何年も見ていない。年よねぇ。

さすがに疲れて、境内を見て回る元気がない。奥宮だけには行って参拝して来よう。奥宮は、巫女さんがたくさんいて華やかだった本殿とは別世界のようにひっそりしていた。


駅までの道を歩き始める。
人気の川床料理。少し想像と違った。ここは、川幅が狭く、左右に梁を渡せて安定しているのだろうけど、川は川でも、渓流だよね。ゴーゴーと流れる川の音は、暑い夏には清涼感たっぷりなのでしょうけれど、私、案外臆病だから。
お店の人が、女性グループに声をかけ、車で駅まで送りますから、と誘っている。もうお昼過ぎだものね。結局、鞍馬から歩き始めて、2時間半くらいかかったのかなぁ。

貴船口駅まで27分、という看板が見える。25分でもなく30分でもなく、なぜ27分なのか、わからない。とにかく歩こう、歩いていれば着くでしょ。と、バス停が見える。バスなどいつ来るかわからないけど、あれ?大勢並んでいる。人が沢山並んでいるということは、もうすぐ来るんだ。私も並んでみよう、と、並んだとたん、バスが来た。なんてラッキーなんでしょ。

叡山電車を降りたら、出町柳で、友人が教えてくれた「鯖寿司ふた切れとおうどん」食べていこう。
ん?商店街ってどこよ。チラシを配っていたインド料理店の人に聞く。「商店街、行きたい?橋を渡って、また渡って、その向こう」と教えてくれた。カレー食べなくてごめんね、と言ったら、にこっと笑ってくれた。

鴨川を渡る。左手は、下鴨神社に行くんだ・・・。通りの向こうに人の列が見える。あれが有名な豆大福の「ふたば」か。
目指すお店はすぐにわかった。わかったけど、シャッターが下りている。えーっ!休み?通りかかったおじさんが、「珍しい。これは突発的な休みだな。普段、休む時は、ちゃんと札をかけていくから」と教えてくれる。
仕方ないので、「ふたば」で豆大福と柏餅味噌餡を買う。これも通りかかったおばさんが、こんなに人が少ないのは珍しい、と教えてくれた。いつもは、長い行列になるらしい。ついているのか、いないのか。
どこかでお昼を食べていこうと思ったけれど、面倒になって、いいや、大福と柏餅で昼にしちゃおう。

ホテルに戻って、お茶と大福のお昼だ。コシのある厚くてしっかりした皮。これは、ふにゃふにゃの大福じゃない。お餅だ!そういえば、「餡の入らない豆餅終了」という札が下がっていたっけ。そう、豆餅の中にアンコが入っている、という感じ。
柏餅も食べてみる。これまた皮がしっかり。味噌餡も美味しい。十分なお昼になった。

まだ時間も早いでの、行こうと思えばどこかに行けたのかもしれないけど、足もパンパンで、もう一つどこかに観光、という気持ちになれない。そう欲張って、あちこち見て歩かなくても。今日は今日で、思うこと沢山あった。来てよかったなぁ、と思ったもの。
明日は明日で楽しみが待っている。明日に備えて、少し休もう・・・横になったら寝てしまったT_T

夕方、お土産を買いに駅まで行く。買いたいお酒があったんだ。駅ビルの酒屋さんにあるらしい。お菓子も少し買っておこう。麻雀会で配るのは「飴」でいいや。
ついでに、夕飯用のお弁当とビールと。一人で外で食べてもね。
明日は、友達がお昼を誘ってくれている。ふふ、なんて嬉しいんでしょう。楽しみなんでしょう。


鞍馬の霊気というものについて、調べればいろいろ出てくるのかもしれない。
ただ私は、登って降りてこられた、その達成感でいっぱい。普通のハイキングコース程度の道のりだったかもしれないけど。
パワーをもらえたとしたら、自分で歩いたことの満足感。
お仕着せのツアーでなく、誰かに連れて行ってもらうでなく、一人で行ったこと。
一人で行くの?誰かいないの?と妹は言っていたけどね。誰が私と旅行してくれるというのよ^0^
旅行券くれた長男に感謝。
そして、今、なんだか夫の最後が可哀想だったな、と。やっと持てた自分の家で、やっと暮らせた、ほんの一年。
最後の一年、幸せだった?うれしかった?・・・ごめんなさい。
旅行会社に勤める先輩のプランとはいえ、私達、なんで「赤目四十八滝→奈良→京都」なんて新婚旅行したんだろうね。
笑っちゃうね。

京都に行った(2の1)

2年くらい前だったと思う。あるサイトで「鞍馬・貴船」という紀行を読んだ。疎い私は、それが京都だということが、すぐにはピンと来なくて、何か不思議な怖いようなものを感じながら読ませて頂いた。
鞍馬山を登る。貴船にたどり着く。
簡単に言うと、そういうことだけれどm(_ _)mその中に込められたもの。その人にはその人の「行かなければ」という思いがある。
突き動かされるものを持った人の足取りは、強く、早く、息吹が伝わるようだ。九十九折(つづらおり)、木の根、やがて聞こえる川の音・・・一枚の絵、一枚と言っても、長い巻物のようなものかな、を見たような読後感が残った。
「女性の一人歩きは勧められない」 「午後2時には下山を始めたほうがいい」 「鞍馬から貴船へと行くべき。貴船から鞍馬ではなく」そんなことも書いてあったように思う。
私には足を踏みいることのない場所なんだ、そう思っていた。

それが、昨年、新聞の日曜版に 「近うて遠きもの・・・鞍馬のつづらをりといふ道」 という清少納言「枕草子」の言葉と共に、鞍馬寺の参道、九十九折の写真が載っていた。
新緑の中登る参拝者たち、それは、鬱蒼と深い山に入る、というより、爽やかな初夏のハイキングのような雰囲気だった。私にも行けるかな・・・

その記事には、「絶望の中で書かれた機知」として、清少納言の枕草子が、どういう状況で書かれたものであるか、ということに触れられていて、それなりに面白かったけど、正直、それほど興味がないT_T
ただ「近うて遠きもの」という言葉には、惹かれた。
「近うて遠きもの」かぁ・・・私だったら、そのお題になんて答えるだろう。
ま、ここには拓郎ファン以外はいないということで、「吉田拓郎」にしておくかなT_T

で、京都に行くなら鞍馬・貴船に、と思ったのか、鞍馬に行きたくて、京都に行こうと思ったのか、わからないけれど、場所や行き方を調べ始める。ガイドのページもいくつかあった。貴船は人気なんだね。
パワースポットとか、霊気、とか、そういう言葉がよく出てくる。若い子の間で、パワースポット巡りが流行っていることは、数年前から言われているけど、何がパワースポットなのか、わかんないや。ここがそこだと知らなくても感じるんならすごいけど・・・と、また批判ばっかりの年寄り根性がT_T

朝の叡山鉄道「きらら」に乗りたい。出町柳8:40発。そこから逆算して、予定を決めていく。朝食は、ホテルの朝食は取らなかった。前日にパンでも買っておいて・・・それでもいいけど、それだと歩くパワーが足りなさそう。コンビニでおにぎりでも買って持ってく?その辺に腰掛けて一人で食べるのもみっともないなぁ。
有名なイノダ珈琲で「京の朝食」を食べていくことにする。
そこなら7時からやっている。一度は行ってみたかったし。観光客としては、いい選択かも。

経路を調べると、乗ったことのない電車の乗り換えは不安だけど、十分間に合いそう。ノートにしつこく時刻を書いてゆく。なんで地下鉄が「京阪三条駅」で、京阪電車の駅が「三条」なの?この乗り換えって何分かかるんだろ。
別に間に合わなかったら何時の電車になろうと構わないんだけどね。一人旅なのだし。
行き当たりばったりで、のんびりと・・・そうなれないのは、細すぎた夫の影響なのか、その「鞍馬・貴船」を書かれた方が、几帳面に時刻を記していくのに感心したからなのか・・・ほんとは、私、大雑把なんだけどね。

前日の疲れでぐっすり眠った・・おかげで、朝早く目が覚めてしまう。アラームも何も、4時半頃起きてしまうのだから。家ならパソコンで時間潰すんだけど。
仕方ないので、朝食の前に、近くで寄れる所がないか、詮索してみる。イノダ珈琲の近くに「六角堂」というのがあった。拝観は6時からだって。よし、そこに寄ろう。
6時前にホテルを出る。細かい雨が降っている。パーカーを羽織る。
初めての地下鉄でも、行けば、ちゃんと乗れるものだ。京都は昨年あたりから「PASMO」や「Suica」使えるようになっていて、やっぱり便利ですよね。ICカード。マゴマゴしなくて済むもの。
烏丸御池、普通に「からすまおいけ」と読めばいいのだと、電車のアナウンスで知った。オフィス街なのですね。

何も知らず、ただ近いからという理由で時間潰しのように来てみた六角堂だけれど、由緒あるお寺なのですね。その厳正な中にも親しみを感じる佇まいに、ふーっと息を吐く。感嘆という言葉は、ちょっと違う。ふーっと息を吐いてまっすぐ立ったら、お腹が平らになった、というか。これって、最近体操をやっているからの感想?^^;
聖徳太子が創建された、いけばな発祥の地などの説明を読む。

小雨降る早朝、すでにお参りをする人が、ちらりほらりといる。出勤途中だろうか、スーツ姿の男性が、さっと参拝して行く。地域に密着しているんだ。
お線香を持った女性が「火がなくて」と困ったように言う。炭団の火は消えている。ロウソクはあるけれど、点っていない。参拝は六時からと書いてあったけど。そうこうするうち、納経所というのか、戸を開ける人がいる。
尋ねると「また火は入れていない」。その女性は「では、中の火を使わせてください」・・・私には、なかなか、そんなふうに言えないなぁ。諦めて帰るか、火のついていないお線香をそのまま挿して行くかだわ・・便乗して、私もお線香を二本頂いて、お参りをする。

地面に着くまで長く伸びた柳の枝に結ばれた御籤の神が、白い花のよう。
十六羅漢という小さなお坊さんの像があった。

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「和顔愛語わげんあいご」というのだそうで、いつもニコニコ優し顔で穏やに話すよう心がければ、必ず良い報いがある、ということらしい。笑顔と優しい言葉、というのは、私に一番足りないところだ、と、わかっていても、そうならないんだよね。そうしよう、と思って、そう出来たらどんなにいいだろう。

7時までは、まだあるけれど、私のことだ、きっと迷うでしょう。案の定、地図を見ても、自分のいる通りがわからないT_T
観光客らしい二人連れが通ったので、聞いてみる。日本語が通じないT_T 
自分で探そう・・・歩き始めたら、様子を見ていたらしいご老人(男性です)。雨も上がって、くるくると巻いた傘をステックのようにすっと差し、「本店ならここをまっすぐ行って、次を右に曲がる、三条店なら向こう。」
さすが、京都のご老人というべきか、背筋もしゃんとして、言葉少なく的確で、お礼を言ったら、軽く頷いてさっと去っていった。

テレビで何度か見たイノダ珈琲の店内。思ったより広くて、街のホテルのティールームみたい。
2階も別室もあるようだ。

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お年を召された方が、数人、ポツポツとコーヒーを飲んでいる。皆お一人なのが、ちょっと見られない光景だ。いいですよね、皆さん、お洒落で。

高田渡のコーヒーブルース
♪ 三条に行かなくちゃ 三条堺町の イノダっていうコーヒー屋へね

あ、この歌は三条店だった。

「京の朝食」を注文する。量が多そうで食べきれないような感じがしていたけど、ミーハー観光客だもんね
・・・ほんとに多かった。山盛りの千切りキャベツと、スクランブルエッグは卵一つ分じゃないよね。分厚くて大きなハムを軽くソテーしたもの二枚。ミニトマトとグリーンアスパラとスナックエンドウと人参ソテー。
オレンジにクロワッサンに、ジュースとコーヒー。食べ始めて、あ、写真撮ればよかった・・・
いつもそう、撮ってから食べる、というのが身についていない。というか、料理は、出されたらすぐに食べよう、と思うのだ。自分の料理も、滅多に撮らない。私などモタモタして、熱いものが冷めちゃうからね。

美味しいかもしれない。でも、驚く程でもないような・・・ごめんなさい。
お店の雰囲気はとっても素敵。店員さんも感じいい。ここの、ミルクとお砂糖を入れてきてくれるコーヒー、好きだ。もっと軽いモーニングがあったらな。

常連なのでしょう。お年寄りたちが、声を掛け合い、同席して、親しげな笑い声が聞こえてくる。朝のひと時、こういう店で仲間と過ごすのね。いいなぁ。

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トイレに立ったら、インコがいた。


さて、今度は東西線というのに乗らなくちゃ。まっすぐどんどん歩いたら、東西線の入口があった。
「京阪三条」→「三条」の乗り換えも、そうよね、みんな乗り換えるんだものね、難しいわけはない。東京の地下鉄のようには込み入ってない。
「出町柳」には、早く着いた。来た電車を見送って、ホームで次を待つ。
やっぱり私は夫とおんなじことをしている。早め早めに。
ゆっくり行ったって、同じ電車に乗るのなら、結局時間の無駄遣いをしているのかもしれないのにね。

でもまぁ、そういうわけで、無事乗り込んだ「きらら」は、先頭に座ることができて、運転手さんの後ろから左右に青もみじを見ていた。
叡山電車というのは、沿線に学校も多くて、登山電車のような趣は、終点の数駅前からだったけど。

鞍馬駅に着いた。
天狗のお面が出迎えてくれる。
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小さい頃見た映画や紙芝居の「鞍馬天狗」は、ここから来ていたのか。
私には、鞍馬天狗と言ったら、やっぱりあの頭巾をかぶった正義の味方だわ。さすがに嵐寛寿郎は知ってるけど古い。東千代之介とかさ。


_続く_

京都に行った(1)

一昨年の誕生日に、長男が旅行券をプレゼントしてくれた。
どこへ行こう・・・うれしいからこそ、無駄には使えない。ゆっくり考えようと思っているうちに、今年秋までの有効期限が迫ってくる。
そうだ!京都に行こう!

京都に行くなら、まずは清水寺。なんてありきたりなんでしょ。夫と行った新婚旅行の京都、清水寺の舞台で、お水を受けようと柄杓を伸ばす私の写真が可愛いから・・・なんてね。

もう一つ、京都で、行きたいと思っていた場所がある。新聞の切り抜きをファイルに入れて、今も時々読み返す。それは二日目に。

旅行券は宿泊に使わせてもらって、新幹線は、以前名古屋や山形に行くのに重宝したジパングに入ろう。会費も安くはないけど、一度往復すれば元が取れる。
花の季節は混雑この上もないというし、高い。GW後の平日がいいかな。新緑の京都も良さそう。案外穴場かも。
この際だから、ちょっといいホテル、とも思ったけれど、ケチな私は、半分とっておけば、もう一度どこかに行けると思う。どうせ寝るだけだもの、清潔ならどこでもいいや。
旅行って、目に見えないところでお金使うよね。小さな土産、休憩に飲むコーヒーや、目にとまった美味しそうなもの・・・ケチケチするのも楽しくない。そっちに使おう。

最初、昼前に着く新幹線にしようと思ったのです。けど、外人客や修学旅行生でいっぱいであろう京都の、「誰もが行く」定番コース。
バスでなく、電車+徒歩の行動を予定を組んだけど、いっそ早い時間から行動することにしたらどうだろう。
朝はゆっくりと思えば、ゴミ出しだの、洗い物だの、掃除機もかけて行こうか、等々用事を増やして忙しいだけだ。
準備をしっかり。当日は出るだけにして、6時台の「ひかり」にしようかな。(ジパングは、「のぞみ」は使えない)

たぶん、新幹線は空いている、隣に誰が座っているかわからない指定より、自由席の方が、きっと快適だ・・・そう考えたのは正解でした。3人掛けの席にずっと一人だった。
車内で前の日に聴けなかった「拓郎ナイト」の録音を聴くつもりでいたけれど、何か違う。気分が違う。
拓郎を忘れて、景色を見よう、のんびり旅気分を味わおう。HPに伝言するのでなく、持参したメモ帳に書いておこう。
そういえば、コンサート会場で、せっせとメモ取る人がいたっけ。メモした言葉の断片からライブを蘇らせる、それは、素敵な驚きであったけど。

まだ田植えは済んでいないのかなぁ・・・ぼんやり外の景色をを眺めていたら、あ!「つ・ま・恋」の看板!外していないんだ!あのままなんだ!写真など撮る暇もない。
「ただいま掛川駅を通過しました」と電光掲示板が。通過してから知らせてくれたって。拓郎忘れて、のはずだったのに。


右も左もわからない京都駅。とりあえずコインロッカーに荷物を入れる。
あたりはそう混み合っている雰囲気でもない。無理に電車を乗り継いで歩かなくても、バスで行けるかも。バス停の様子を見て考えよう。
目指すバス停には人が並んでいたけれど、長蛇というほどでもない。係りのおじさんは手馴れたもの、上手に乗客をさばく。バスで大丈夫そう。
私の数人前でいっぱいになったので、次を待つ。たしいた時間ではない。乗ると、「清水寺は前、銀閣寺は後ろ」との指示がある。どちらかというと、銀閣寺の方に惹かれるけど、清水寺決めたのだから。
一番前に座って、道、すいているじゃん、あれは三十三間堂だ、京都だねぇ、などとボーッとしていたら、15分足らずで着いた。
どちらに向かって歩く、と考えることもない。人が向かう方に行けばいいだけだ。左右に分かれた道は、右の「ちゃわん通り」にした。
通りの名前通り、瀬戸物やさんが並んでいるけれど、お土産品の瀬戸物買ってもね、と思っていたら、小さなフクロウの置物が。一つ一つ形や表情が違う。500円か・・・。

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夫が生前、やけに「フクロウ」「フクロウ」と言っていたので、フクロウの物を見ると、つい買いたくなる。
仏壇にお供えしよう。

清水寺は、外人さんも修学旅行生も当然大勢だったけれど、普通の観光地でも、土日ならこのくらいは。

改修中なのは承知の上、とは言っても、資材で囲まれている姿、眺めのいい遠くから見渡せば、お堂の上から黄色いショベルカーの先っぽがニョキッと覗くのは、なんだかね。

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40年前の新婚旅行で夫に撮ってもらった写真と同じポーズの私を私が撮れるわけないのだし。
でも、新緑の中、あれは何の塔?なんというお堂?・・・自分のペースで、のんびりと見て回るのは楽しかった。

「随求堂(ずいぐどう)胎内めぐり」というのもしてみる。
靴を脱ぎ、真っ暗な中に入ってゆく。ほんとの暗闇。左手に掴んだ縄だけが頼りだ。怖い。どこまで続くんだろう、と思った頃、ぼーっと明かりが見える。
微かな灯りを放つ石に、手を置き、こういう時願うのは「家族の平穏な心」それしか浮かばない。
「こういうものは・・」と批判するのは簡単だし、以前の私なら、やらなかったかもしれない。でも・・・ほんとに暗かった、見えた明かりにホッとした。それでいいじゃん。
おみくじも引く。おみくじというより助言だ。「年をとれば足腰も弱ってきます」だって。くっ。

これまた定番の、産寧坂、二年坂を通って八坂神社に向かう。
修学旅行で、夫との旅行で、通ったこの通りは、50年前、40年前と変わらない。そりゃ、人も店も、賑わい方も変わっているのだろうけど、坂そのもの、というか、街の作りは、そう変わるものではない。人が太っても痩せても、骨組みが変わらないように・・・少し違うか。
ちょっとお腹が空いたかな。お昼、混まないうちに、たって、入る店がない。どれも値段は張るけれど、実際がわからなのだもの。
それに、明後日、帰る日に大切な友だちが、ランチの予定を組んでくれている。それが楽しみだから、京料理のようなものは食べないでおきたい。

ささっとうどんかお蕎麦でも・・・こういう時、○○うどんのチェーン店が、あったら便利だなぁ・・・あるわけないけど。仕方ないから九条ねぎの蕎麦、というのを食べに入る。

関西のうどんのお汁はとっても美味しいと思うけれど、蕎麦にもこういうお汁ってどうなのよ、うどんと蕎麦って、家庭でもお汁変えるよね、と関東生まれの私は思ってしまう。
美味しいことは美味しかったけど、なにせ、量が多い。残すのも失礼かと・・・ふーっ、食べるのに疲れた。
元のように沢山食べられるようになった私だけれど、ものによっては食べきれないんだ。
「量を減らしてください」それが店にとって、案外面倒なことを知っている私は、なかなか、そう頼みづらい。


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二年坂に向かう角が嫌に混んでいる。行ってみてわかった。写真渋滞だ。京都の趣十分な坂、写真を撮ろうと・・・今時は、景色の写真でなく、自分の写真を撮りたいのだもの、時間もかかるわ。


修学旅行生が急に増えた。やっぱ、朝早い行動開始に限る。
今時は、中学生でも自由行動が多いのね。お昼もめいめい好きな店を選んで入る。「修学旅行生割引」という張り紙も目に付く。何食べる?どこに入る?・・・楽しそうだね。

私が中学の頃は、「日の出号」に乗って、京都についたら、バスに乗せられ、降りたら、紺色の制服を着たガイドさんの旗について行き、金閣寺など。
見たら、また次。どこをどう見たのやら、どんな説明があったのやら。お昼ご飯をどうしたのかも覚えていない。お弁当が配れたのではなかったっけ。
夜は「正露丸」を飲まされ、嫌だったなぁ・・・こっそり捨てた。

みんな言うの。京都?修学旅行で行った。でも、全然覚えていない。大人になってからこそ行く所ですよね。
「私、新婚旅行で行った。」すると、「まぁ、修学旅行みたいな」・・・とはハッキリ言わないか。自分で、「修学旅行みたいでしょ」と先制してるのか。

「七味屋」さんで七味を買う。私用には七味、長男には辛口一味だ。あの子は、七味のぶつぶつが嫌だと一味にしてる。そのブツブツと香りが美味しいのにな、と私は思うけど。

みたらし団子だのなんだの、美味しそうなのに、お腹いっぱいで食べられない。お蕎麦をちょっと後悔する。
買う気もないのに、あの店、この店と、入ってみながら、、二年坂を下りてゆく。適当にあちこち曲がってみては、路地を楽しんで歩く。

途中に「酒屋さん」があった。店構えはひっそりと地味なのに、並んでいる京都のお酒の銘柄がすごい。あれもこれも買いたいな。宅配便で送ってもらおうかな・・・いけない、いけない、つい気が大きくなってしまう。
「買っておけば、みんなが来た時飲める」「飲んで欲しい人に送ろう」・・・そういうのはやめよう。

八坂神社だ。


祇園四条駅まで歩き始めたら、ポツポツ雨が降り始める。ちょっと休憩。
まだ一時半。ホテルに行く前に、もう一つ行けるよね。
検索すれば、いろいろ出てくるけれど、スマホで地図を見るのは苦手なので、路線図だけはコピーして手帳に挟んで来た。
京阪電車でここから5つ目に「伏見稲荷駅」がある。今や外人さん人気ナンバーワンだとか。近いし、手頃かな。


駅で降りると、結構な賑わい。参道には屋台も並び、下町のお祭りのような雰囲気もある。
お稲荷さん、キツネさん、馴染んだ光景なのかな。

ここが千本柱か・・・テレビや雑誌で見かけた。CMでもやっていた。赤い鳥居がずーっと続く。
・・・のだけど、外人さんも、浴衣姿の若いカップルも、グループも、写真を撮るのに夢中で、そこが通路だろうが、人の流れを妨げようが、眼中になし。人が団子になっている。
二年坂でもそうだったけど、撮りたいのは風景でなく、そこにいる自分なのだもの。
赤い鳥居をバックにした浴衣姿の自分を、「稲荷神社に行ってきました」とインスタグラムにあげるのだろう。

そういえば、広島で厳島神社に向かう船の中、景色など全く見ず、自撮りに夢中だったグループのはしゃぎ声がうるさかったなぁ。それも若さというのもかとも思ったけど。

私は、写真を撮る気などなくなって、山の上まで登ってみようかな、と、変な反抗心を起こす。
折りたたみの杖はバッグに入っている。30分くらいだと言うし。雨も止んだ。

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少し登っただけで、人が少なくなる。ここまでくれば、周りも静かで、思う存分撮れるのに。
そういうことはしないのか。
もっとも慣れない浴衣姿で山登りは出来ないけどね。


「インスタ映え」という言葉があるのだそうだ。確かにここは「インスタバエ」する。
「インスタ映え」のする写真を撮るために、並んで人気のお菓子を買う。見映えのする料理を作る。それはそれは上手に撮る。
旅行する、お参りをする、行けば、自撮りだ。
何か違う、と思うのは、おばさん、おばあさんの証拠かな。

ま、いいや。
それにしても思いつきで登る山のきついこと。行き交う人も滅多にいなくなった。なぜか白人系の外人さんが多い。やっと着いた、と思った神社があった所は、てっぺんではなく、そこから20分もあるのだそう。
巫女さんに、「今日は涼しいからここまで登つて来られたんですよ」と慰め?られる。
えーっ。ここからさらに20分?でも、せっかくここまで来たのだから、最後まで。
それも、明日のいい練習になる。気を取り直して、また登り始める。杖があってよかった。
途中、若い男の子のグループに遭遇したので、「もうすぐですか」と聞いてみる。
汗だくの男の子は、「まだまだ先です」だって。うへぇ。

上が見えない急な階段を何段も登る。どこまで続くんだろう。とっくに20分以上は歩いている。
さっき一緒だった外人さんと、また一緒になる。微かに「しょうがないね」とでもいうように、首をすくめたような。
まだぁ、もっと先ぃ?20分など嘘ばかり。登れば降りなくちゃならない。帰りもあるんだよね。一人でブツブツ言いながら、とにかく歩く。

と、ここ?拍子抜けするほど、普通の場所だった。見晴らしが良いわけでもなく、神々しい雰囲気があるわけでなく、普通に「末広の神様」が祀られていた。
ここは観光地でなく、信仰の山だもの、登ってくることに価値があるのだろう。
売店には、飲み物の自動販売機と、暖簾と手ぬぐいと。
いつからか登ってきているカップルの男性が「ここが頂上です」というものがあれば、売れるだろうに、何もないじゃないか、と言ったけれど。
手ぬぐいを見せてもらう。「朝夕に 願う心の届きなば 恵ぞ深き 末廣の神」。
以前あった御籤の大吉の詞が書いてあるんですよ。おじさんが説明してくれる。
青に染め抜いた山と鳥居。黒い文字の地味な手ぬぐい。「一つ頂きます。」すぐにそうやって買うから^^;

さて、帰り、5分ほど近いという別の道を下る。
知らない所に行くのは遠いけど、さっきいた所に戻るのは近い。足には下りの方がキツいけど、気分はスイスイ。
途中「おもかる石」というのがあった。願い事を三度、心から念じれば、軽々と持ち上がる石らしい。
試してみようと、三度念じたけど、ビクともしない。私の念じ方が足りないのね。 
通りかかった外人さんが、石を持ち上げようとする私を見て、「手伝いましょうか」とでも言うように近づいてくる。
私はノーノーと、横に手を振った。

あっちにもこっちにも狐さんがいる。お稲荷さんだもの当たり前。
油揚げに詰めたお寿司を「おいなりさん」というのはわかるけど、狐が、どうして油揚げが好きなのかは、わからない。
人間に狐人間と狸人間がいるなら、私は狸の方だ、とずっと思ってきたけど、狐に近づいて来てるかもね、
とか、わけのわからないことを考えながら、下る。
駅には4時を目標にいしてて、せっせと下っていたら、これから登る人もいる。大丈夫なのかな・・・

京阪に乗って東福寺で乗り換えなくても、すぐ近くのJR奈良線「稲荷駅」ならほんの二つ目なことに気がついた。
京都駅、コインロッカーの荷物を出し、ホテルまで歩く。
シャワーを浴び、さっぱりしたら、夕方からどこかに出ようとも思ってたけど、面倒になった。手軽に済ませよう。明日も早いし。
明日は。鞍馬・貴船に行くんだー。

藤の花

ずっと藤を見たいと思っていた。
あちらこちらで、藤棚は見るのだけど、なかなか咲いているのに遭遇したことがなかったから。時期的にGW後半というと、子供たちの都合もあり、なかなか出づらいんだよね。
藤の花を見たいなんて思うようになったのは、「年」かなぁ・・

足利フラワーパークの映像を見ては、なんて綺麗なんだろう、と感嘆するけれど、そこまで行くのは案外遠くて、面倒な感じ。といって、バスツアーのようなものに参加する気もないし^^;

一月に亀戸天神に行ったとき、そういえば、ここは藤で有名。この藤棚の花が一斉に咲いたら、どんなに見事だろうと思ったけど。

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そうだ、亀戸まで行かなくても、もう少し近くて、混雑していなさそうな神社があった。
新しくなった調布駅にも降りてみたいし。

二週間近く前のこと。まだ満開じゃないのはわかっていた。
でも、これだけ咲いていれば^^
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ただ・・・神社のお休みって考えたことなかったけど・・・
お賽銭箱も出ていない。なんだか寂しい雰囲気。
社務所には「ベルを押してください」と書いてあったけど、ガラス戸を覗くと、人がいる。そっと入ってみたら、奥さんだかお母さんだか年配の女の人が、「すみませんねぇ、私も手が悪いもんだから、このおみくじも、御守りの見本も外に出せなくて」
「月曜だから人も少ないだろうと、朝から研修旅行に行っちゃって、遅くまで帰らないんですよ」

たくさん並んだ御守り。これがあの藤の実が入っているという期間限定御守りか・・・1000円もする。高いとか安いとかそういう問題ではないだろうけど。買うのじゃなく、頂くのだし。
私は、いいや。
参拝出来ないのに、物を買って帰るのも変だしね。

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きつちり閉まったガラス戸の向こうにお賽銭箱やあれこれ(なんというのかわからない^^;)がしまってあるのが見える。開けてみようとしたけれど、鍵がかかっているみたい。ガラスの隅が少し割れていて、そこから手を伸ばし、お賽銭入れる?・・・まさか。

そうねぇ、用事があったり、体調が悪ことだったあるだろうし、神主さん不在なことは珍しくもないこと。でも、代わりに開ける人がいない、って?
この神社は結構「千年藤」と宣伝もしていて、あたりは藤の写真を撮る人もチラホラいるのに。

なんだかよくわかんないなぁ・・・ふと見ると、手水舎というのか、水がない・・・ないのでなく、センサーで、柄杓や手を差し出すと水が出てくる。最近はこうなってるんだ。

なんとなく、井戸だろうと水道だろうと、コンコンと湛えられた水で清める、というイメージあるから、カラカラに乾いた石の上に水が必要な分だけジャー、というのに違和感がある。そんなこと言ったって、水の出しっぱなしは勿体無いのよ、と言われるのだろうけど。

藤の花は綺麗だったけど、釈然としない気持ちで、降りた調布。え、なんでこんなところにホールが?と思ったら、南北が繋がったのね。明るく便利になった。懐かしいなぁ・・・


先週、自治会館の裏に回ったら、あら!藤が満開。
藤棚あったんだ・・・一本の木で、見事なこと。
「灯台下暗し」・・・とは違うか。
電車に乗らずとも、徒歩3分で藤の花を見ることが出来た。
これで満足しておこう。

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咲いた!

キッチンで洗い物をしていたら、右の視線にピンクを感じる。
凸凹したすりガラスの右端にふわんとピンクのかたまりが。
あれ?表に出てみたら、あら!秋海棠が・・・咲いてるじゃん!

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伸びすぎた上、枝が絡まって始末に負えなくて、なんだか元気もないし。一昨年、ばさばさと切ってしまっていたのだった。

植木屋さんの手間賃もバカにならないし、頼んだって、すぐ伸びるT_T私に庭の手入れは出来ない。あーあ、と庭が重荷で憂鬱だったんだ。
中古のボロでもいいから、庭のある家が欲しい。手入れは自分でするから、と言ったくせに、さっさと亡くなってしまった夫がうらめしい。

秋海棠のこともすっかり忘れていた。
私が適当に切った木は、低くなってしまい、不格好だけれど、咲けば、やっぱり綺麗だ。鮮やかなピンクがあたりを染める。


そういえば、私のデンドロビュームも、一応咲いたんだよ。
昨年3月、みんなで苗を買い、めいめい鉢に植えたデンドロビューム。今年2月、同窓会のように10人ほどで集まり、成長ぶりを披露しあったら、同じ苗なのに、これほど違うのか、というくらい差があった。
すでに立派な花をつけていた鉢もあれば、先生に「栄養失調ですね」とからかわれて落ち込んだ男性もいた。
私のは、花芽はつけていたけれど、立派とは言い難く、まー、通知表でいえば「2」くらいなものだったかな。
植物苦手だもんね。

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それでも、蕾が膨らみ始めるとうれしいもので、自慢したくて玄関に飾ったけど、息子は見向きもしやしない。

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咲いて、もう一ヶ月。そろそろおしまいかな。
今年は、先生が作ってくれたカレンダー通り、ちゃんと水をやり、肥料も間隔守って、来年みんなで持ち寄る時は、「よく育ってるね」と言わせてみよう・・・無理かも、だけど。
(ちなみに、もともと小ぶりの品種です^0^)

年に一度の、そういう集まりも良いものです。
市の無料講習も捨てたもんじゃない。

**追記*:nn? 今検索したら、あの木は秋海棠じゃない!じゃ、なんだろう・・・桜の一種??

好きになったよ女の娘

井上荒野もつまらなくなったなぁ、と思いながら小説を読んでいたのです。
79歳の妻と72歳の夫の名前が「百々子」「拓人」というのからして、なんだかな・・・その妻が夫を殺してしまう。「どうする?」という家族談義から始まるのだけど。
内容省略するとして、
終わり頃、女が百々子やその娘や息子たちと車に乗っているのですね。拓人さんに会いにいくと言われて。妙だと気づき始めた時、
「辿り着いたらあー」突然息子が歌いだす。馬鹿みたいに大きな声で。
「いつも雨降りいいー。そんなーことのおー、繰り返しいいー」
だまんなさいよ、と言われても黙らない。
「ところがおいらはああー、何のためにいいー」
・・・・
「ああここもやっぱりいいー、どしゃぶりさああー」

ちゃんと歌になってるじゃないの。歌詞の伸ばし方。
私はつい、合わせて歌ってしまう。拓郎だ! 作者は、モップスのつもりだったのだろうけど。ついでに「好きになったよ女の娘」も口ずさむ。


で、ここが私のおかしいところ。突然「ぼくのあたらしい歌」を思ったのですね。
DVDで見たこの歌、とってもいい曲だった。演奏、素敵だった。歌詞を読めば、悪くない。なのに、歌になったとき、なんだかなぁ・・・ピンと来ないのはなぜなんだろう。拓郎の声もいいのに。

もしも、「好きになったよ女の娘」のままだったら、どうだったんだろう。素直に、良い歌だよ、と言えたかどうか。「たどりついたらいつも雨降り」の原曲だからこそ、こっちの方が面白いという面もあるのじゃないかしら。
勿論、最初から、あのメロディは只者ではないと感じていた人もるかもしれない。でも、私のように鈍い人間は、そのままだったらいい歌だと感じなかったと思う。

「ぼくのあたらしい歌」も化けるかもしれない。けど、今は、何か嫌なんだ。「愛してるってなんてテレくさいんだ」の言葉が曲に乗ってしまうと、やにさがった拓郎が浮かんでしまう。
「作ったんだ」「書いたんだ」「好きなんだ」・・・昔なら、こんな語尾もうれしかったんだけどね。

歌って不思議だ。メロディと言葉と声と、三つが三つではない力を持って、生まれ変わる。その変わり方に、私の理解が及ばないということなんだろうけど。

花柚子のジャム

花柚子をたくさん頂いた。
花柚子は、花の香りを楽しむためのもので、実には香りはないのだそう。お風呂に入れても、香りもしないのだとか。
「花柚子だけどいーい?」
新しい友人は「ジャムがいいのよ」そう言って袋いっぱいくれた。

前に作ったことあったっけ。種と実を袋に入れて一緒に煮た覚えがあるなぁ。念のため、ネットで検索してみる。これにしてみよう・・・でも、少し我流を加えてみる。やっぱ、白いわたわたも取らないとね。刻んで湯がくより、湯がいてから刻もう。砂糖の量もちょっと減らした。少なければいいというものじゃない。フルーツソースでなくジャムなのだから。

で、こんな感じ。
*花柚子 500gとして 砂糖220g(グラニュー糖が少ししかなかったので、混ぜた^^;)

1.皮と実に分け、実は絞ってジュースを取っておく。
 皮は、2,3回茹でこぼし、白いところをこそげて(ざっとでいい)、刻んで、もう一度柔らかく茹で、数時間水にさらす。

2.実だけはうまく取れないので、種も袋も一緒に、数分ほどレンジにかけたあと、裏ごしをする。
*そんなに必死にしなくても、スプーン(大)に2杯ほど取れれば大丈夫。

裏ごし器の裏についた実をヘラでこそげたものと(緑色できれい)、ジュース、刻んだ皮、砂糖を加え、混ぜてしばらく置いておく。

3.鍋に入れ、焦げ付かないようにかき混ぜながら、10分ほど煮る。冷めると固くなるので、煮詰めなくてもいい。
熱いうちに、煮沸消毒した瓶に詰めるのもよし、簡単にジプロっくで冷凍という手もある。

作るときはアップしようなんて考えないものだから、途中経過の写真がなくてm(_ _)m

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柚子の味がしっかりした、とっても美味しいジャムになった^^
お店屋さんのみたい、と自画自賛する。
その友人は、ただ刻んでお砂糖入れて煮るだけよ、苦いところがいいの、と言っていたけれど。

こちらは3月に作った金柑ジャム。似てる?でも、違うよ。
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宮崎の「たまたま」という、あまーーくて美味しい大きな金柑。ジャムにするには勿体無かったけど、娘が来た時に食べさせたかったので。
きれいな金柑色。
薄く切った全粒粉のパンにつけても、ふわふわのパンでも、最高だった。
#スプーンが置いてあるのは、金柑の大きさをわかってもらうため。

#おまけ:「桃栗3年 柿8年」ここまでは誰でも知っているけど、続き、「柚子の大馬鹿18年」と言うんだって。
柚子の大馬鹿、って・・・T_T
柚木は大木になるなんだってね。だから家に庭には「花柚子」が多いのだとか。

スタイ

今は、「よだれかけ」や「あぶちゃん」などと言わず、「スタイ」と言うらしい。

先日、手芸屋さんの2割引セールに行ったら、Wガーゼの可愛い生地が目に付いた。よだれかけの見本もある。これで「スタイ」を作って、先月生まれた次男の子に贈ろう。

ネットで検索したら、まぁ、レースやリボン、衿が付いていたり、パンダや熊さんの形をしたもの、男の子用にはネクタイがついていたり、色どりみどり、可愛いというより、やり過ぎなような気もしなうもないけど、今や、よだれかけも、アクセサリー、洋服の一部になっているのかな、とも思う。
無料型紙がダウンロードできるサイトもあって、便利なものだ。

ガーゼは柔らかくて、肌触りもいいけれど、ちょっと涎が多かったり、こぼしたりすると、びしょびしょになって、服まで濡れてしまう・・・という経験ありますよね。「透湿性防水シート」というのを、その手芸屋さんで見つけて、それも買ってきたので、間に挟んで、いくつか作ってみた。

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30センチの布で出来るので、調子に乗って何枚も。
娘だったら、そのうち使うから、と全部押し付けるのだけど、お嫁さん相手だと、ちょっと遠慮する^^;
こんなに同じようなものが何枚もあっても邪魔だろうと、3枚だけにして、日曜日、ご招待を受けたので、手土産の一つにした。

ちょうど生後一ヶ月になる孫は、すやすや眠って、帰るまでの2時間、結局一度も目を覚まさなかったT_Tさすが女の子・・・。
目鼻立ちがしっかりして、お嫁さんに言わせると、「気の強い子になりそう」だそうで、ま、親が言うんなら、いいでしょう。女の子は強いくらいがいいんだよ・・・

ここしばらく、サンタ作りや、クリスマス用カードや、箱作りや洋裁・・・机の上は、ミシンだのボンドだのカッターだのが、順繰りに占領していて、パソコンは、テーブルの隅に押しやられていた。
やっと、プレゼント作りも終わったので、材料は全てしまい込んだ。さすがに、年末年始の準備に取り掛からねば。夢中になって、いろんなものを作ってばかりいては、時間がいくらあっても足りない。

それに、明日は、拓郎のテレビだ!
PCも机の上に復帰した。
メールも、ちょっと書いた。
拓郎モードにならないと。

馬鹿みたいにたくさん作った「鎌倉スワニーさん」のサンタクロース。キットを手本に、手持ちの生地で勝手に数を増やすという^^;
ファイル 40-2.jpg

これは、私なりの拓郎バージョン。
ファイル 40-3.jpg

紙にパンチでステッチ用の穴が開いているカードも見つけたので、子供たち用に、せっせと刺繍もした。小さなイニシャルで誰用かわかるようにした。プレゼントを受けとったら、カードはオーナメントにしてね、との伝言付けて。

ファイル 40-4.jpg

なんだかんだで、私のクリスマスは、イブを待たずに完了。
いいんだ。拓郎モードの年の瀬で。

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