全く個人的な2002年という年+拓郎アンソロジー
2018.05.16
2002年の4月から2003年の3月末まで、東京・世田谷の宿舎に住んでおりました。
「考えてみれば、結婚後初めての東京住まいだね」夫が感慨深げに言う。そうでした。勤務が東京の時も、住まいは埼玉や千葉だったのです。
私鉄の駅は、あちこちで地下鉄と接続され、今、東京ってこんなになっているんだぁ!おのぼりさんよろしく路線図を広げ、夫と電車に乗り、あちこちに出かけていたような気がします。
夫が大好きだった神田の蕎麦屋に行ってみたり(藪蕎麦ではないでーす^^)皇居なんかにも行ったりして。

エレベーターのない5階建ての5階。エレベータのないのは4階までだろう、って?でも、古いからか、なぜか5階建てだったんです。買い物をして帰ると、フーフー言って、途中休憩しながら階段登った。
何より、引越しの時もそうだったけど、大きな物買うと、運送屋さんに悪くてね。
駅から徒歩一分という好立地。商店街も開けた賑やかな所で、住まいの前がバス停になっていて、しょっちゅうバスが止まる。バスのてっぺんを見下ろしながら洗濯物を干していた。「北水無」行(だったかな?)そういう路線のバスがあって、「水無」に反応した私は、どんな所に行くんだろ、一度乗ってみたいな、なんて思ってた。

時々、お天気のいい日には、一人自転車で、昔通った大学のあたりまで行ってみたり、世田谷美術館・・・ある人が見たという牛島憲之の絵を見たくて行ったのだけど、何年も前に見たという絵が同じにかかっているわけないじゃないね・・・砧公園って、こんなに広いんだ、実感して帰ってきただけだったけど。帰りはヘトヘトでした。
「蘆花恒春園」など、何度行ったことか。秋、一面紅葉で覆われた公園があまりに綺麗で、HPのトップにしてみたこと、あったっけ。
「携帯持ったら?」夫に勧められて、ピッチを持ったのもあの頃。すぐに携帯に買い換えて、写真が撮れるということがうれしくて、あちこち撮りまくったけど、当時の画素数、今見るとザラザラボヤボヤで、もうwebに載せるのには耐えられないんだけどね。

そこに住んでいるということがうれしかった。
いろんなことが実を結び始めた時期だったのかもしれない。なんだって、物事はピークを迎える少し前、というのが一番素敵なのです。

98年2月から始めたHPは、「小さな水たまり」と称するような、雑談メインの小さなサイトだった。もう少し広く、拓郎ファンサイトとしてやってみようと欲を出したのは、2000年頃だったかもしれない。

どんなサイト名にしようか。拓郎の名前を全面に出すのでなく、アルバムや曲名にはしない。だって、歌にはそれぞれの思いというものがあるから、私がその歌を名乗ってしまったら、申し訳ないでしょう。歌詞の一部を取った。密かに「これは拓郎の歌なんだ」とわかっていればいいのだし。

かつての拓郎MLが閉鎖になってから、いつか自分で、と思ってたMLも、しばらくして、始めた。その時期はハッキリ覚えている、というかログが残っている。2001.2.25。
昔のようにコマンドで動くMLにしたかった。めいめいが自由に入れて、勝手に出ていくことも出来て・・会員名も過去ログも自分で取り寄せできるような。知識なんか何もないのに、あちこち調べてたどり着いたそういうMLを動かしてくれるサイト。月500円だったかな。
その初代MLには、すでにサイトを運営していた管理人さんたちが、テスト的にメールを投稿してくださったり、本当にお世話になりました。私個人というより、新しい拓郎MLが出来たということで、協力してくださったのだと思います。

2001年拓郎がレコーディング風景をネット配信するという、当時としては画期的な試みを行った。
「こんにちわ」が発売になり、MLの投稿数もぐんと増えます。銀座・山野楽器で拓郎写真展もありました。
初めてOFF会というのもやってみた。例の「朝陽がサン!オフ会」です
お師匠さんに勧められてjpドメインも取った。
♪走り始めた2001年~ (浜省風に^^;) 全てのことが2002年に繋がってゆく。

「Oldies」の発売が2年3月なら、小冊子をもらったのも千葉だったはずなのに、なぜか、あの烏山時代だったのだと錯覚している。メールで「Oldies」のことを書いたのも、狭くて古くてギュウギュウで、部屋と部屋の境目みたいなところにどうにか置いたパソコンで打ったのだと勘違いしている。

アルバム発売を記念して、「なりきり拓郎」という企画もあったよね。昔テレビで見た「なりきり浜省」は、サングラスをかけた浜省もどきがやたらゾロゾロいて、爆笑ものだったけど、「なりきり拓郎」は、応募が一人きりだったらしく、知人が新橋で寂しく歌っていた。私は応援に行けなかったけど、あれも千葉時代のことだったんだろうか・・

5月に、突然、NHKで拓郎の番組があった。
「吉田拓郎アンソロジー」。皆さん覚えていますか? 
ひとつのテレビ局がああいう番組を作る・・・驚きでした。その後2005年のDVDで、拓郎は珍しく昔の映像をたっぷり入れてくれたし、2007年にはフォーライフが通史のようなCD+DVDを出している。
だけども、私は、この時のアンソロジーこそ、と今も思う。テレビ番組だったことに意味があると思っている。
アンソロジーって、日本語で「詞華集」というのですって。素敵な響きですよね。「詞華集」・・・

2002年5月6日NHK-BS2 SUPER LIVE 吉田拓郎アンソロジー

番組冒頭で、いきなり、大写しの かまやつさんが言う。
「僕の人生の中で、ま、ああいう人物に出会うことはないだろうし、いないだろうし」

小室等、トータス松本、
松任谷正隆:「未だに何を考えているのかわかりません」

南こうせつ、
小室哲哉:「少なからずどっかに影響受けている」


番組のあちらこちらにあるこの6人のコメントが、また、良いんだ。

拓郎:「人間なんて」 あの歌は書いた覚えがない。一生懸命作ったとかなんとか言うより状況・時代が書かせた

(1) 75年「つま恋」の人間なんて

あらためて見ると、その迫力に圧倒されます。吉田拓郎は偉大だ!

松任谷さんが 「つま恋」の思い出を言う。
かまやつさんが、初めて拓郎の歌を聴いたとき、衝撃だったと言う。一週間前に会った時も、衝撃的でしたけどね、だって^^

(2) 72年 神田共立講堂「旅の宿」

   テレビ東京で放送されたものですね。今でこそ、珍しくもなけれど、当時は、それがNHKで放送されることに、驚きました。
   この時の番組からは、あと2曲。

(3) じゅんちゃん

   何度もギターをつっかえ、相当間違えたと言いながら歌ってくれました。金太郎さんみたいにぷっくらして可愛い拓郎。

(4) マークⅡ

   拓郎のギターが凄い!なんと魅力的なこと。いろいろ言うけどやっぱり拓郎の弾き語りはすごいのです。

拓郎:当時、自分の弾き語りは一番と思っていた。弾き語りがうれしかった。今は、うれしくない。仲間が助けてくれないといい気持ちにならない。

で、画面は、(5)Have a nice day 

NHKがCMソングいいの?と思ってしまいます。
最後の商品名はカットされてしましたけどね。

続けて (6)僕らの旅  

スバルのコマーシャル、うれしいじゃありませんか。

75年「つま恋」の打ち合わせをする拓郎。

こうせつさんが、思い出を語ります。拓郎がいたから出来た。拓郎がああいう場を作ってくれたから自分らも走れた。眠れなかった前夜、拓郎が起き出す話は、何度聞いても笑えるし、あの初めての大きなイベントを迎える拓郎の心境も伝わります。
「朝までやるよ」拓郎の叫びと猫耳テント。

(7)春だったね と(8)夏休み

篠島。松任谷さん:「つま恋を超えられるか 相当なプレッシャーがあったと思う」
波をきり、島に向かう船の映像

(9)ペニーレーンでバーボンを 

篠島では、この歌でメンバー紹介だったんですね。「あおやまとーるー!」拓郎の声が響きます

(10)されど私の人生 

なぜ篠島から、斉藤哲夫さんのこの歌を選ぶ?と思ったけど、昔「元気です」のLPを抱えていた世代には、外せない歌なのかもしれない。

小室等さんのインタビューがあって、(11)ビートルズが教えてくれた 

ん?何時のだろう・・・拓郎はジーンズジャケットを着ている・・・と思っていたら、小室等さんも登場して、一緒に歌い始めた。まだ髭も黒い若い小室さんです。

(12)93年101スタジオ 「襟裳岬」

黄色いジャケットを着た森進一さんが、収録風景を見に来ている。その画面、好きでした。DVDには、その場面収録されていないです。
当時、スタジオ収録に招待の連絡があったのに、電話に出たお母様が、事情を知らず、「うちの子は忙しいから無理です」と断って電話を切ってしまった。
帰宅して、それを聞いたIWさん、えーっ!!まさか!どうして?当分立ち直れなかったという話が、忘れられないです。

小室哲哉:吉田拓郎は憧れでもあり、一つの光でもあった

レッツゴーヤング!のキャンディーズや、僕笑っちゃいますが、少し流れたあと、

(13)我が良き友よ 90年愉快にオンステージです。

かまやつさん、ミスマッチがヒットの要因の一つ。拓郎には、そこまで考える力がある。プロでユース能力がある。

フォーライフ設立の会見。
なんたって、あの時の拓郎はかっこいい。テレビで見ていて、私は、なにか誇らしかった。
小室等さん、拓郎の社長業についての話。

(14)外は白い雪の夜 79年日本青年館 

大晦日に紅白の裏でやったスーパージャムですね。拓郎がパイロットみたいな服を着ている。

私はその年末年始、夫の実家に里帰りをしていて、到底その番組は見られないだろうと諦めていたら、夫がどこからか小さなテレビとコード類を調達してきて、見られるようにしてくれた。
嬉しかったけど、退院してお正月を一緒に迎える祖母、叔母一家、義兄一家、親戚が集まって紅白見ている中、私だけ別室にこもっている訳にはいかない。チラチラとたまに隣の部屋を覗くだけ。結局見られなかったなぁ・・・

パシフィコ横浜の「全部だきしめて」も、少しだけ。

(15)85年つま恋 人生を語らず

トータス松本さんが語る吉田拓郎。「僕の人生の今は何章目くらいだろう」を作ってくれたんですよね。

(16) 落陽
・・・
75年つま恋の落陽~79年篠島の落陽~82年王様達のハイキング 武道館の落陽~93年スタジオ101の落陽ゆっくり陽が沈むような落陽でした。

(17)吉田町の唄

そういう落陽を聴いたあとの「吉田町の唄」の、心に染みること。
これも93年スタジオ101のものですね。石川鷹彦さんが何度も映り、懐かしく、その元気なお姿に、今はどのようにしていらっしゃるかと胸が痛みます。

拓郎:よりシンプルに、よりスッポンポンで。

(18)家へ帰ろう

ステージでこの歌を歌うとき、拓郎は目一杯声を張り上げます。だから、いつも心配してしまう。
良い歌ですよね。

その年の一番新しい拓郎の映像が映っておしまいかと思ったら、なんと、
(19)今日までそして明日から 

思い切り懐かしんで90年代に行こうというサブタイトルのついた89~90の「人間なんてツアー」の拓郎です。私、大好きだった。
ぷつっと切れたように終わる 明日からもこうして 明日からもこうして 生きてゆくだろうと


ナレーターは、中尾諭介さん。製作統括は、NHK長尾賢治さんでした。
番組の中で、少し流れた歌や映像は省略しています。もうすぐ帰るよ、とかね^^
間違いも多いかもしれません。持っている方は、これを機会にもう一度ご覧になってみてください。
持っていない方は・・・コピーは出来ないので、お貸しする機会がありましたらm(_ _)m


どうして、こういう番組をNHKが作ってくれたのか。秋になって繋がります。
2018.05.16 21:02 | 固定リンク | 未分類
「Oldies」とその小冊子
2018.04.26
拓郎の新しいアルバムの話を聞いていたら、「Oldies」を思い浮かべて、ああいう感じじゃない方がいいな、と思ってしまっていましたT_T。収録されていた「襟裳岬」と「祭りのあと」、こんなになっちゃってと、馴染めなかったことばかりを覚えていたから。

数日前、消灯の後の眠れない病室で聴いた「Oldies」の「こうき心」。何か引っかかる。最初から聴いてみなくちゃ・・・聴きました。スマホのイヤホンで、直に頭の中に注ぎ込むように。素敵なアルバムではないですか。

「入り口」がいい。

この「リンゴ」好きです。大人の、都会の「リンゴ」

「oldies」、当時とってもうれしかった一曲なのに。「僕らの旅」と「バイタリス・フォークビレッジ」のメドレーなんだよ。♪どんな言葉でもいいから 少し心を見せ合おう~ 拓郎がメッセージをくれている。

なんてかっこいい「高円寺」なんでしょう。鳥山さんのギターがすごい。拓郎の声が可愛い。少し高く歌ってる?

フラメンコのような「Voice」。ため息出ます。

「こうき心」。初めてアルバム「LIVE'73」で聴いた時の新鮮な感動。あれには敵わない。なんて思っていたけど、改めて聴いてみると、これはこの時の拓郎がやりたかった「こうき心」なんですね。もし今度の新しいアルバムでもやるとしたら、どんな形になっているでしょう。

「祭りのあと」は、やっぱりわからない。なかなかかっこよくならない歌のような気がする。

「蒼い夏」はね、私にはコードもなにもわからないんだけど、拓郎の歌って、ここで上がると思いきや下がるところがあって、何が拓郎節かと言ったら、そこだ、と思うのだけど、このアレンジは、そういう面白さがあって、歌詞の世界とは少し違うけどね。

「家に帰ろう」は、この時の新曲です。この歌のことは、またあらためて。

そして、最後は「かくれましょう」なんだよ。鳥山さんと新しい音を探りながら、締めにこの歌持ってくるなんて。やっぱりやられてしまいます。

このアルバムって、あまり話題になりませんよね。私もそうだったけど^^; 拓郎が新しいアルバムの構想に燃えている今、改めて聴くと、拓郎がやろうとしていることに繋がるものを見るような気がします。
最後に宮本秀夫さんがREVIEWに書いてる。「これは2002年に生まれた新しい曲たちだ。そんなふうに聴くのが、このアルバムにはいいことだと思う」
2018年、もしかしたら19年になってしまうかもしれないけど、今度のアルバムも、そんなふうに聴けたらいいな。

で、「そうだ!小冊子!」発売の時、もらえたんですよね。皆さん、持ってます?
早く退院して、それ見たい!見て書きたい!見ていない人に見せたい!すごくそう思ったんです。
辛いことも悲しいこともあったけど、拓郎からもらったもの、キラキラした思い、かけがえのない時間、そういうものを押しやることはない。失くす必要もない。私の拓郎ノォト作ってみようかなぁ・・・なぜ「私の」?・・・理由あるんですけどね^^



こういうファンクラブ会報顔負けの小冊子です。
「新★堂でもらえましたよ」そう書いたら、え!もらってない。急いで店に言いに行ったら、もらえた!と大喜びだった小さなyさん。そんなちょっとした情報交換で大盛り上がりだったあの頃。2002年だったんですね。その後を思っても、感慨深い2002年です。

鳥山雄司さんのインタビューがすごいです。一部抜粋します。


・拓郎さんはプロデュース能力のある人なんで、うちのスタジオを使って、ぼくと何かしらガレージっぽいことをやりたいと

・今回のレコーディングで、拓郎さんには、なんか、うたいたかった詞の感じというのはあると思いますね。曲的なことで言うと、ぼくがいまはっきりわかったのは、あの方はものすごくR&Bの人だということ。

・なんか、ほとんどオケができた段階で、”やっぱ、キー全部上げたい”みたいな。

・重くしたくない、と。なんかこう男らしくて、ロマンティストで、という吉田拓郎像ってあるじゃないですか。ちょっとヘビーで。それ、あまり好きじゃないみたいですね。本人は。

・今回、「高円寺」とか「リンゴ」とか、要するに声はほとんど変わっていないけどサウンドは変わっている。コアな拓郎ファンはそれをオリジナルと聴き比べて、”やっぱオリジナルじゃないとダメだろう!”と言うのは間違いないよね、と(笑)・・・

・この4~5年で、"あ、この人はこんなに耳がいいんだ”と恐れいっちゃったことがたくさんあった。異様に耳がいいんです。音を聴きわけることも、ピッチ感とリズムにしても。もともと細かい人であることは知っていたんですけど(笑)

・あと、すごく革新的な人ですよね。・・・サム$ディブとか、アレサ・フランクリンとか、ほんとん、大元のR&Bといわれている人達の影響をすごく受けて。で、R&Bをやりたかったんだけど、お金がなくて、周囲の事情が許さなくて、ギター一本でそれをやろうとしたらしいんです。よんどころない事情でアコースティックギター一本で弾いて歌ったことが、まずすごい革新的なわけじゃないですか。

・(Oldiesの聴きどころPOINT1 ボーカル)まず声ですね。55歳の人がこんなに明るい声でうたっているのを、他で聴いたことがありますか?

・(POINT2 敏腕プロデューサー)その人が、思いつきとかじゃなくて、ちゃんと裏付けを持って作ったのが、このアルバム。

・(POINT3 分かってる!)普通だったら、それは無理でしょう、みたいなことを言うんですが、分かってなくて言ってるんじゃくて、分かって言っている!それはちょっと恐れ入ったところです。



他にも、坂崎さんや、篠原ともえさん、高見沢さんのメッセージや、古矢徹さん、宮本英夫さんのREVIEWなど、読み応え十分。
なのですが、私が気に入っているのは、なんたって、沢山の写真!こんなふうに、フィイルムのように拓郎がいっぱい!



中でも、一番好きなのは、ジャンプしている拓郎。



古矢徹さんのREVIEWは一曲ごとに書かれているのですが、一つ一つに懐かしい70年代の写真があったりするのです。




拓郎は、2000年フォーライフを離れ、テイチクに移籍して、翌年「明るい日常」などをいう「こんにちわ」を出して、そして、この「Oldies」で、やりたかった音を追求するようなアルバムを作った。
でも、今も時々聴く人、どのくらいいるのかなぁ・・・つま恋のエキジビションホールに行けば、必ずスタンド席の「いー19」に座ってポーズを作り、撮る人いるのにさ。

この年の秋、驚くようなことが待っていました。
2018.04.26 21:31 | 固定リンク | 未分類

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